先生と呼ばれて(山本理)

戸田ゼミコラムのアーカイブです。このコラムはすでに連載を終了されています。

2014年10月

私は塾を始めるまで、
自分が人からどう見られているか
なんとなく薄々気づいていました。
カッコいいか、ブサイクか
どちらかで言うと後者のようです。

教えることは教えらることだそうですが、
ホント子供には教えられます。

けれども、そうはいっても、
ブサイクにも二種類あります。
見られる顔と見られない顔、
もう少し言えば、
我慢出来る顔と我慢ならない顔です。

それは、長年見ているうちに
その人の目が慣れるということもあるでしょう。
けれども、テレビを見ると
少し前までは美人だと思っていた人が
いつの間にやらそうでもなくなっているのを見ると、
大抵、上品かそうでないかの違いだと気づきます。
それはお金で買えない種類のもので、
教養とか日常生活の行いのようなものが
どんどん表に現れてくると云うことに違いありません。

他の塾の生徒はどうなのかわかりませんが、
うちの塾の生徒は
まあまあ悪くないような気もしますが、
私を見てそんなことを言っているうちは
まだまだなような気もします。

「あんまりイケメンすぎると、
勉強に集中できないから丁度いいよ」
と慰めにもならない言葉をかけてくれる生徒もいるから
まったくもって困ったものです。


 

代々木ゼミナールは 20いくつあった教室を一桁に 整理縮小しました。

少子高齢化のこのご時世、
パイの少ないところで、
仕事をしていくことは難しいんだなと
規模は小さいけれど
同業者だけあってそんな気にさせられます。

けれども、日本から
子供がいなくなるわけではありません。
私の考えでは、
チェーン店や大きな塾が
淘汰されていくことはあるけれど、
地元の学習塾は
やりようによっては
生き残れるんじゃないか、
そう考えています。

今は次の一手を指す前に、
もう一度
腰を入れて
読み抜けがないか考慮中です。

「塾をやめます」
悲しいけれど、
その一言で生徒とはお別れです。
余計に悲しくなるので、
いつもやめる理由は聞きません。

でも、
もう一度私の塾で勉強を再開する子が
最近立て続けに2件ありました。

他の塾へ行って戻ってきた子、
私の塾をやめた後、
どこにも行かず、
勉強は自分でしていた子です。

そういえば、
本格的にスポーツをしているので、
いったん塾をやめたけれど、
時間に余裕が出来たからと、
戻ってきた子もいました。

そう考えると、
お風呂屋さんのように
気楽に出たり入ったり出来るような雰囲気が、
私のところのような個人塾のウリなのかもしれません。

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