先生と呼ばれて(山本理)

戸田ゼミコラムのアーカイブです。このコラムはすでに連載を終了されています。

2013年01月

邱先生の『野心家の時間割』には
職住接近のススメが説かれています。
職場と住居が近ければ近いほど、
仕事に熱が入っている証拠である。
仕事に力を入れるなら、
職場の近くに家を買ったり、借りて済むのが良い、
と云った内容ですが、
私自身これを実行していました。

しかし、実行すると云っても私の場合は
少し違います。
塾の中で生活をしていたのです。

私自身、別に仕事に力を入れようと思って
始めたことではありませんでしたが、
確かにこれは便利です。
先ず、遅刻をすることはないし、
通勤時間もかかりません。
だから自然と仕事中心の生活になります。
ただ床の上で寝るのは敷物を敷いても
ちょっと寒いのが難点でした。

ワンル-ムの塾の中を指さして、
「ここに住んだらいやん?
お風呂はお風呂屋さんに行ったらいいし」と
冗談混じりでそんなことを
口にする生徒も時折いましたが、
「こんなところに住む人なんておれへんやろう」
なんて答えながら、
「丁度君の足元あたりが僕の寝床なんだけどなあ」
と心の中で呟いていました。
ホントのことは、純粋な子供たちには教えられません。

てっきりこんな生活をしていたのは
自分だけかと思っていましたが、
そうではなかったんですね。
『野心家の時間割』には
予備校を始めた先生が、仕事が軌道に乗るまで
ソファをベッド代わりにして
予備校の中で生活をしていたことが
書かれているので、
二番煎じになってしまったか、と
少々悔しい?思いをしています。



去年、小学校の同窓会で幹事をしたことから、
先生の自宅へ招かれて
手料理をいただく機会がありました。
招いた先生は当時熱血教師で
コワイ先生と印象を持っていましたが、
退職されたこともあるのでしょうか、
そこには温和で穏やかな表情がありました。

最近はヨ-ロッパ旅行を何度もされていて、
日本に帰ってきたと思ったら、
また1か月ほど旅行と云った具合です。
まだ気持ちが若いのでしょうが、
お話を聞いていても年齢の差を感じませんでした。

同窓会で久しぶりにみんなと顔を合わせても
話題は仕事と結婚と子供の話で、
懐かしさはあるけれど、
それぞれが今関心を持っていることは違うし、
お互いの生活があるので、
子供の時と同じように、しょっちゅう顔を会わせると、
いうわけにはいかないなあと思いました。
友達はいつも遠くにありて想うものなのかもしれません。

そんな訳で、話が面白かったのが
同級生ではなくて先生だったのが
同窓会での新発見でした。

(文章が短くなってしまいました)







以前にもちょっと触れたことがありますが、
集団で物事を進めていくときには
強い力を必要とすることがあります。

多少の体罰は必要悪だと思っていますが、
(塾でしているわけではありません)
私の塾でも、子供が、
けしからぬ行動に出ることもあります。
まだ道理がわかっていない年頃だから
仕方のない面もありますが、
普通に口で注意するだけで
聞いてくれないような生徒もいます。

普段、私はモノわかりが良すぎるほど
いいほうだと思っているし、
そう云う風に演じている部分もあるのですが
今後の授業に差し支えが出ると思えば、
少しキツク注意します。
モグラ叩きの要領で、増長するような考えを
子供が見せた時点で、
私は顔色も口調も変えるのです。

やさしいリ-ダ-よりも
恐いリ-ダ-のほうが人がついてくると
マキャベリが言っていますが、
確かに怒った後の子供の態度は
見違えるほど良くなります。
時々、学校の先生も手を焼くだろうな、
なんて想像してします子供もいるのですが、
そう云う相手にも効果があります。

怒った後にどんな態度を見せるかが
大切なのかもしれません。
私の場合、怒っているのが
自分でもアホらしくなってきます。
それよりも
「なんで、こんなに怒ったのだろう」と
私自分が反省してしまうのです。
こんな風じゃ、気が弱くていけないなあとも思います。
ただ、注意したその子供が
落ち込んだまま帰らないように
気を遣っている積りですが
子供がわかっているのか、それはわかりません。

 

邱友会や戸田ゼミで
一人で塾をしていることをお話しすると、
次の2つのことについて
アドバイスいただくことが時折あります。
それは「人を雇うことと仕組みをつくること」です。
最初のうちは、そんなものかなあと
漠然とした感想しかなかったのですが、
色々な方から同じ言葉をかけていただくと、
これには何か深い意味があるのだろうか、
と考えるようになりました。

最初の頃は、それこそ何もなかったので
生徒が1人でも来てくれると、
それで満足していたのですが、
人間とは不思議な生き物で、
最近それだけでは満足できなくなりました。
そして、あと2,3年も
このまま同じような状態では
体力的にキツクなってくると感じているのに加えて、
今年は中学3年生が高校に入学して
ゴッソリ抜けた後のことを考えると
去年より生徒の数が少なくなりそうだし、
これからの方向を考えなくてはいけないなあと
感じるようになりました。

実は去年も一人親方から脱出しようと思って、
ハロ-ワ-クへ求人を出したり、
面接のようなものをやってみたことはあるのですが、
なかなかピッタリくるような人に巡り会うことは
難しいですね。
同年代や年配の方でも
いい人がいればと思っていたのですが、
生徒である子供はやはり年齢の若い方が
いいだろうし、
やはり大学生にアルバイトとして
手伝ってもらえるようにするのがいいかなと考えています。

でも人を雇うとなると、
肝心の収入が減ります。
そうなると、もう一つ収入の柱が
必要となってきます。
と云うわけで、
何か自分に出来ることはないかなあと
キョロキョロしているところです。

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

今年は新たな仕事を始める予定です。
とは云っても、まだあれこれと
頭の中で好き勝手に
イメージしている段階ですが、
そんなとき本棚から手に取るのは、
邱先生の本です。
何だかのヒントはないものかと思って
読み返しているうちに、
前向きな気持ちになれるので、
私にとって邱先生は
仕事をするうえでの道標であるだけでなく、
精神安定剤の役目を果たしてくれます。

みなさんもそうでしょうが、
時折、私は邱先生を思い出します。
かと云って、ホンの数えるほどしか
先生を見たことはないのですが、
邱友会の企業説明会を最前列で聞いた時の
印象が残っています。
2、3メートル離れた邱先生の様子を
横目でチラチラ見ていると
参加者と同じように
真剣にその話を聞いておられた邱先生は、
その説明会が終わったあとすぐ、
雑誌社の取材を受けるために、
一旦会場をあとにされました。
本を通して、
邱先生のスケジュールがビッシリと
入っていることを知っていましたが、
実際にその様子を見ると、
地位も名誉も既に手にしていても
なお全力投球の姿勢に
私は静かな感動を受けました。

家に飾っている『一生書生』の
サインを見ながら
今年は今までの自分から
脱皮出来るように
ガムシャラに仕事をしようと決めました。


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