先生と呼ばれて(山本理)

戸田ゼミコラムのアーカイブです。このコラムはすでに連載を終了されています。

2012年12月

勉強は時間をかければいいと云うものでもなく、
集中力が続かなければ
いくらやっても同じだろうと思います。
そんなことを云うのも、
子供の頃の将棋仲間を思い出したからです。
中学の時など、みんな将棋中毒と云ったところで、
土日は朝から一日将棋を指していたのに、
高校は進学校で、大学もいわゆる
いいところに通っている子が多かったのです。
高校では学年でビリをとって、
落第しかけた私とは随分違います。

きっと同じ局面を何分も何十分も飽かずに
じっと考え続ける将棋と勉強は相通じるものがあって、
彼らの場合、将棋で身に付いた
モノを考える癖を勉強でも生かしたと
云ったところでしょうか?
実際、学年のトップ10に入る生徒が
去年は2人いましたが
(どうして私のところのような
小さな塾に来たのか不思議ですが)、
見ているとそれぞれクラブ活動であったり、
他の習い事であったり、
勉強一本槍と云うわけでもありませんでした。
ただ塾での勉強に対する姿勢が他の子とは全然違いました。
私が問題のポイントを解説すれば、
必ずそれを書き留めるし、当然ながら私語もありません。
どうして他の生徒と成績に開きが
あるのだろうかと思いましたが、
その集中力と云うのもやっぱり家庭の影響が大きいようです。
私が彼らの親御さんとお話ししていると、
なんと云えばいいのでしょうか、短い言葉を交わす中にも、
教養にふれたような気がするのです。

先生に対して信頼や尊敬の念を持つこと、
漢字の読み書きと計算が出来るといった
勉強に対する下地があること、
集中力があること、と云ったような要素も
それぞれ必要だし、
一週間に何時間か家庭教師の先生に
勉強を見てもらったり、
塾に通うことは多少効果はあるでしょうが、
一番子供と長い間時間を過ごす親御さんの
教養を子供は知らず知らずのうちに
吸収しているのではないかと、私は睨んでいます。
と書いて、自分のオツムの具合を親へ当て擦ってみる私です。

戸田ゼミで今度は何を書こうかと、
文章を考えている時間が好きで、
週1回書くことがすっかり習慣になりました。
来年もどうぞ宜しくお願い致します。

小学生の頃の漢字と計算が出来るかどうかは
中学生以降の各科目の点数に大きく関係しています。

たとえば英語のテストで云うと、
ロ-マ字を覚えていれば
最初のテストは70点とか80点はとれます。
ただ、次第に覚える単語が増え、
文法もいろいろ出てくると
そのまま80点くらいの子もいれば、
点数が下がる子もいます。

その違いはどこにあるかと云うと、
小学校の時に漢字をきっちりと
覚えていたかにかかっています。
漢字と英語は関係ないんじゃないかと
思う人もいるかもしれませんが、
英単語を暗記するには、スペルだけでなく、
意味も暗記しなくてはいけません。

小学校の時に漢字を覚える習慣が
身についていないのに、
中学校になって
英単語が覚えられるはずがありません。
私はそう思うのですが、
生徒の親御さんは
「国語は日本人だからしなくてもいい。
それよりも英語」
と考えている方もおられます。

数学も小学校の計算が出来れば、
中学校の計算もすぐに出来るようになることが多く、
グラフや図形の問題など、
そのときに中学校で習っている内容が
わからなくても、すぐに平均点くらいにはなります。

だから塾をしている私が云うのもなんですが、
小さい時から塾に毎日通わせるより、
家で学校の宿題をきちんとして、
わからない部分がないように、
また宿題をサボることのないようにするほうが
大切なように思います。

どう云った子供の成績が上がるのかなと見ていると、
大体次のような傾向があることに気がつきました。

①親御さんが私を信用しているかどうか
 先生(塾の場合は私)に対して素直であるか
②今、学校で習っている勉強が出来ていなくても、
 計算が出来るか
③集中力があるかどうか

塾をするまで知らなかったことですが、
勉強方法について口出しをする親御さんがごくたまにおられます。
子供の成績が上がらないから私の教え方に対して
疑問を感じていると云うことなのでしょう。
お互い人間なので、どうしてもソリが合う、合わないがあると思いますが、
おそらく子供に対しても「アノ先生はちょっとなあ・・・」
とボヤいておられるのに違いありません。
そうすると子供も私に不信感を抱くので
「アノ先生のやり方が悪いから成績が伸びない」
と云う云い訳につながってしまいます。

成績が上がる時期は生徒の学力にも因るので
短くて1カ月、長い場合は1年以上かかるのですが、
親御さんのなかにはすぐに結果を求める方もおられるので、
私が基礎を固めたほうがいいのにと思っていても
親御さんから電話がかかってくることもありました。

けれども、こんなことが
子供の口を通して私に伝わるので、
「ああ、あのお家の親御さんはそう云う目で私を見ているのか」
と私も思ってしまいます。
勉強を教えることは私の仕事なので、
一生懸命に教えますが、
塾に限らず学校の先生に対しても
同じように子供に不満をぶつけているのだろうなと思うと残念です。

と書いていますが、本当に教え方が悪いのかもしれないので、
時々、指導方法を見直す必要がありそうですね。

世間では景気が悪いと
何年も前から云われていますが、
最近ごく近くの印刷工場が廃業しました。

社長とおぼしき人と
道で顔を見合わせることがあると
いつも挨拶していたのですが、
いつもその人は、元気がないように見えたので、
今から考えると仕事の影がさしていたのかもしれません。

私のところも、いつまでやっていけるのだろうと
不安に駆られることがあります。
新しい生徒がやって来たと思えば、
その子供たちは高校に進学するときには
辞めてしまいます。

毎年その繰り返しで今年は大丈夫かなと
不安に感じることもあるのですが、
それがなんとかなっているから不思議です。
これはこの仕事についてまわる
宿命だなあとも感じています。

ところで、今から来年の事を云うと
鬼が笑うかもしれませんが
来年は新しいことに挑戦しようと思っています。
先ず一つ目は英会話教室です。
すぐにお客さんが集まるとは思えないので、
今塾に来ている生徒が
ネイテイブの先生と交流を図れる機会を持てるように
するところから始めたいと思っています。

二つ目は私自身が勉強することです。
TOEICと中国語検定を受験しようと思います。
中国語も習っていると云っても
普段全然勉強していないので
先ずは3級をとろうと思います。

三つ目はいろいろな人と交流しようと思います。
一人で仕事をしていて普段「先生」と呼ばれていると、
感覚がおかしくなりそうです。
塾では誰にも注意されることがないので、
どんどん偉そうな態度になってくるのではないかと
おそれています。
もしかして、既に偉そうだと陰で云われているかもしれませんが。

最近は歩いて30秒もかからない
1000円でカット出来る散髪屋さんへ行っていますが、
私の隣で年配の方が髪の毛を切られているのを見て
「どこを切っているのだろう」と不思議に思ったことがあります。
それと云うのも失礼ながら、あまり切るものがないのです。

散髪屋さんにしてみれば
髪の毛の少ない人と頭の禿げあがった人と
どちらが手間がかからないかと云えば、
云わずと知れたことだと思います。
いや3分で終わるところを10分に延ばして
切るのは難しいことだと仰るかもしれません。
椅子に大人しく座っている方にしてみても
そんなことは承知の上で
髪の毛を切っていると云う雰囲気を味わうために
お金を払っているのかもしれません。

私も父親が禿げていて
同じように寂しい頭髪人生を送っていくに違いないので
だからこれは悪い冗談として大目に見ていただくとして、
勉強も同じようなところがあります。

勉強ができる子は一度説明するとすぐに頭に入るし、
場合によっては自分で本の解説を見て
どんどん問題を解いていきます。
もともと出来上がりに近いと云う点で
髪が寂しい人のようなものにあたります。
反対に苦手な子どもは
先ず、眠たいとかなんだかんだ云って
問題集を開けることからして時間がかかります。

仕事にしてもそうなのでしょう。
私は昔、職を転々としていた時がありましたが、
どの会社にも仕事が出来る人がいます。
ある会社で、やり手の営業マンの人に
「どうすれば仕事が出来るようになりますか?」
と入社間もない私が訊ねたことがあります。
するとすぐさま「センスがあるかないかだ」
と返事が返って来ました。
仕事の出来ない私はそんなものかなと思いましたが、
そう云われると思い当たることがあります。

 





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