先生と呼ばれて(山本理)

戸田ゼミコラムのアーカイブです。このコラムはすでに連載を終了されています。

2012年08月

今、どこの塾でも、授業は
次のどちらかの形式で行われていることが多いようです。
一つは学校のようにクラスで一斉に授業を行うタイプで、
もう一つは一人ひとりの理解度に応じた
所謂「個別指導」と呼ばれるタイプです。

私が子供のときは、
クラス授業しかありませんでしたが、
それだけでは勉強の苦手な子どもが
授業についていけないからと云うこともあったのでしょう、
マンツ-マンか、少人数での指導が増えてきています。

私の塾も個別指導なのですが、
目が行き届く分、
一人ひとりの子供の授業態度に気づかされることがあります。
見ていると、成績が平均より上位の生徒は
ポイントさえ教えると、大抵理解して、
そのあとは自分なりに勉強を始めます。
勉強の苦手な生徒は、
理解が出来ていない部分が多いから、
その分、教えるところが多いです。
だから同じ月謝をいただきながら、
実際に教える時間はテストの点数がいい子よりも、
そうでない子のほうは多いこともあります。
運動音痴な人に走り方を教えるよりも、
走るのがもともと速い人に教えるほうが、
楽なのと同じことでしょうか。

それじゃあ、勉強が出来るほうが損じゃないかと
云う風になるかと云えばそうでもありません。
勉強の出来る子は
私が勉強のやり方を教えて、
集中出来る場、云いかえれば勉強をする雰囲気を
提供していることになるのでしょう。

同じビ-ルを飲むにしても、
家の中で飲むのか、居酒屋なのか、
おねえさんのいるところで
味(勉強の捗り方)が違うというようなものだと思います。

そして、最近の私は
わからないところを何でも教えればいいって
モノではないと思うようになりました。
活発な子は、積極的に質問もするし、
物言いもハッキリしているので、
それに応えようとは思うのですが、
一から十まで教えなくてはいけないような場合もあります。
しっかりしているように見えても、
実際の学力とは関係がないと云うのが私の感想です。

自分の頭で考える習慣がある子とない子の違いは
黙々と問題に向かう時間があるかないかで
判断出来るように思います。
だから、考える癖をつけるように教えるほうが
大切だと考えるようになりました。

ところで悲しいかな、私の力不足もあるのでしょうが、
勉強をする気があり、本当に一生懸命やっているのは
極々一部に見えます。
ほとんどの子供は問題を解き始めたかと思っても
暫くすると、ソワソワしだします。

勿論、人には向き不向きがあるし、
勉強が出来るから仕事が出来ることにならないと思います。
けれども、勉強でキョロキョロする人が多いと云うことは
対象は変われど、
仕事でも、落ち着いて取り組んでいる人は
少ないと云う事ではないでしょうか。
だから頑張れば、小さい塾をしている私でも
なんとかなるんじゃないか、と希望的観測でもって、
自分のことを棚に上げっぱなしで埃をかぶりながらも、
そう思っています。

今月末で、塾は4年目を迎えますが、
何度か触れたように最初は生徒が誰も来ませんでした。
やむを得ず、当時家庭教師をしていた生徒の親御さんにお願いし、
私の塾まで通ってもらったこともあります。
うち一人は、卒業までの約半年間、
お母さんの運転する車で片道20分かけて
塾へやって来てくれました。
けれども、塾と家庭教師のアルバイトではやっていけません。
ヤマト運輸で年末の宅配便の仕分け作業をやってみたり、
コンビニのアルバイトもしたことがあります。

わずかな間でしたが、四足の草鞋をはきながらも、
独立自営の道を歩いているんだと
自分に言い聞かせていたけれど、
先が見えない不安から
投げやりな気持ちになったことが何度もあります。

サラリ-マンをしている友人に云わせると、
自営はとても魅力的に映るようですが、
どちらも経験している私にすれば、
楽な仕事と云うものはないから、
仕事内容が自分の性に合っているか
選ぶほうが大切だと思います。

私の場合は、将棋や読書が好きで、
スポ-ツも剣道を下手くそながらもやっていたので、
チ-ムプレイよりも一人で取り組むことを好むタイプだと
漠然と感じていました。

実際にサラリーマンをしてみると
物覚えは悪いし、気も利かないので
これではダメだとすぐにわかりました。
会社の備品の買い物を頼まれ、
お店で買ってきたのはいいけれど、
領収書には勤めている会社の名前ではなく、
私の名前が書かれていて
上司から呆れられたこともあります。

私は興味があれば、のめり込んでしまうのですが、
そうでない場合は、全くといっていいほど
関心を示さない性格的に偏りのある人間なのです。

確かに自営は上司や同僚に相談することなく
何でも自分の思うがままに決められるので、
そういった点で精神的に満たされるものがあります。
けれども、周囲とスムーズな人間関係が築くことが出来て、
仕事にやりがいを感じることが出来れば、
サラリ-マンでも自営でもいいのではないかと思います。

今、どこの塾も夏期講習を行っている時期ですが、
私のところも例外ではなく、
毎日子供たちが勉強をしに塾にやって来ます。
不思議なことに、
最近、生徒たちが静かに勉強をするようになりました。

塾を始めてこのかた、こんなことはありませんでした。
その静かさも、気持ちの良い静かさで、
私がウトウトすることはありませんが、
みんなが集中していることがよくわかります。

今まで、もう少しワイワイ、アットホームにやっていたのに
どうしてだろうか、と内心驚いていましたが、
それは今年の夏休みは
いつもより中学三年生の生徒が多いからだと気が付きました。
三年生にしてみれば、
もう受験の年だという意識があります。
隣に座っているのは友達でもあり、ライバルだから
その相乗効果といったところのようです。
先輩が真剣だと、
小学生や中学一、二年生のワンパク少年たちも、
大人しくするしかないようです。
大人になると、一歳くらいの年齢差なら、
それほど違いを感じないけれども、
子供の場合は体格はもちろん、精神面も随分しっかりするようです。
女の子は特に中学二年生くらいが一番情緒不安定な時期なのか、
私は女ではないのでよくわかりせんが、
随分気持ちが安定するんだなあと思います。

でも、みんなが勉強してくれるのはいいことだと
喜んでばかりもいられません。
中学三年生が多いということは、
彼らが中学を卒業するとまた新しい生徒を集めるのに
それ相応の労力が必要になると云うことになるからです。

だから私は、将来的には
今、塾に来てくれている生徒たちの
「大学受験」「就職」「転職」「結婚」「離婚」「老後」
といった面倒をみたいと思っています。
揺り籠から墓場まで
一生涯をサポート出来るような塾にしたいと思っていますが、
これは考え過ぎですかね。

 









独裁者は自分の所属する組織の中では
絶対的な権力を振るうことが出来ますが、
私のような一人で塾をしている人間は
生徒や生徒の親御さんに対して
自分の意見をある程度通すことが出来るので
独裁者の一種の変形と見ることも出来ます。

然し、いつの時代でも独裁者に対して
クーデタを起こそうとする人間が出てきます。
私の場合、それはあまりにも騒がしい生徒や
無気力な生徒といった集団の和を乱す
生徒と云えるでしょう。

そういった生徒に対して、
最初は優しく「ダメやよ」と教え諭すように話します。
大抵はそれで済みます。
私は、あまり口やかましく云わないほうだと思いますが、
だからでしょうか、増長する子もいます。
そうなると他の生徒の勉強へ悪影響が出るので
どうしても対策を講じなければなりません。

そこで、口で強く注意します。
すると、それまで喋っていたような生徒も口を閉じて、
こちらの様子を窺っているのがよくわかります。
それで私の気持ちもおさまります。
知らず知らずのうちに、ストレスが溜まっていたのかもしれません。

ごくごく僅かですが、私が言ってもチョットやソットでは
言うことを聞かない子もいます。
これは私の想像の範囲でしかありませんが、
家や学校で怒られ慣れしているのかもしれません。
なかには口答えをしたり、悪態をつくような生徒もいます。
そういったクーデターに対して、最終的に採られる方法は
太古の昔から決まっています。
それは武力によるしかありません。

直接叩くことなど、ほとんどありませんが
(全くないとは言い切れません)
そうすると、流石に大人しくなります。
普段大きな声を出すこともない私なので、
生徒も怒られていることはよくわかるようです。

でも、私の場合、怒り慣れていないのでしょうね。
そのあと、どうして感情を抑えなかったのかと、
反省してしまいます。
怒った積りが、怒られているような意識になるのです。
だから、これからは怒り方を
勉強しないといけないなと思っています。

自分のことを『仏のような人間』だと思いたいところですが、
まだまだ未熟者で、感情の起伏が結構あるようです。
かと云って、アノ世に行って、
本当の『仏様』になってしまうわけにはいかないから、
こんな精神状態は人間らしいと云えば人間らしくて
丁度いいくらいなのかもしれませんが、何事も勉強ですね。






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