今、どこの塾でも、授業は
次のどちらかの形式で行われていることが多いようです。
一つは学校のようにクラスで一斉に授業を行うタイプで、
もう一つは一人ひとりの理解度に応じた
所謂「個別指導」と呼ばれるタイプです。
私が子供のときは、
クラス授業しかありませんでしたが、
それだけでは勉強の苦手な子どもが
授業についていけないからと云うこともあったのでしょう、
マンツ-マンか、少人数での指導が増えてきています。
私の塾も個別指導なのですが、
目が行き届く分、
一人ひとりの子供の授業態度に気づかされることがあります。
見ていると、成績が平均より上位の生徒は
ポイントさえ教えると、大抵理解して、
そのあとは自分なりに勉強を始めます。
勉強の苦手な生徒は、
理解が出来ていない部分が多いから、
その分、教えるところが多いです。
だから同じ月謝をいただきながら、
実際に教える時間はテストの点数がいい子よりも、
そうでない子のほうは多いこともあります。
運動音痴な人に走り方を教えるよりも、
走るのがもともと速い人に教えるほうが、
楽なのと同じことでしょうか。
それじゃあ、勉強が出来るほうが損じゃないかと
云う風になるかと云えばそうでもありません。
勉強の出来る子は
私が勉強のやり方を教えて、
集中出来る場、云いかえれば勉強をする雰囲気を
提供していることになるのでしょう。
同じビ-ルを飲むにしても、
家の中で飲むのか、居酒屋なのか、
おねえさんのいるところで
味(勉強の捗り方)が違うというようなものだと思います。
そして、最近の私は
わからないところを何でも教えればいいって
モノではないと思うようになりました。
活発な子は、積極的に質問もするし、
物言いもハッキリしているので、
それに応えようとは思うのですが、
一から十まで教えなくてはいけないような場合もあります。
しっかりしているように見えても、
実際の学力とは関係がないと云うのが私の感想です。
自分の頭で考える習慣がある子とない子の違いは
黙々と問題に向かう時間があるかないかで
判断出来るように思います。
だから、考える癖をつけるように教えるほうが
大切だと考えるようになりました。
ところで悲しいかな、私の力不足もあるのでしょうが、
勉強をする気があり、本当に一生懸命やっているのは
極々一部に見えます。
ほとんどの子供は問題を解き始めたかと思っても
暫くすると、ソワソワしだします。
勿論、人には向き不向きがあるし、
勉強が出来るから仕事が出来ることにならないと思います。
けれども、勉強でキョロキョロする人が多いと云うことは
対象は変われど、
仕事でも、落ち着いて取り組んでいる人は
少ないと云う事ではないでしょうか。
だから頑張れば、小さい塾をしている私でも
なんとかなるんじゃないか、と希望的観測でもって、
自分のことを棚に上げっぱなしで埃をかぶりながらも、
そう思っています。