先生と呼ばれて(山本理)

戸田ゼミコラムのアーカイブです。このコラムはすでに連載を終了されています。

2012年07月

私は、生徒や知人から聞かれて厭な言葉があります。
「生徒は何人いるの?」
家族や家族のような人なら話は別ですが、
そうでないほとんどの場合は
興味本位の質問でしかありません。

勿論、純粋に知りたいと思って聞く人もいますが、
なかには結構、人のフトコロ具合を
知ろうと思っての場合もあるのです。
なにしろ、ちょっと計算すれば、収入のおおよそが
わかってしまうのです。
だから、私は聞かれても何にも云いませんが、
そうすると、生徒のなかには
フトコロが温かいか温かくないか計算を始める子もいます。
その数字が、合っているか間違っているかは云いませんが、
どうも気分が良くありません。

こんなことに答えていいことはないでしょう。
例えば、収入が多いと
「いっぱいもらっていいなあ」と嫉妬されるだろうし、
少なかったら少なかったで、
「生活が結構大変なんだな」と同情されるのも癪です。

お金の話をして上品かそうでないかは、
お金の額にだけ興味があるのか
それとも、お金に付随する知識を得ようとする
姿勢があるかどうかに依ると思います。

戸田ゼミ生の方々は、
そのほとんどは私より年齢が上ですが、
皆さんお上品で、
おカネにガツガツした人とは
最も縁遠いような人々の印象を受けるのも
その辺りにあるのかもしれません。

子供は大人の始まりであって、
子供と云っても、それは大人を小さくしただけで、
根本的な性格は既に出来上がっています。
だから、お金の話をするにしても
人によって随分お金に対する態度が違うんだなあと、
またまたエラそうに思っている今日この頃です。

 

私は今でも時々、ホントに塾をしているのかな、と
自分で自分の頬をつねりたくなることがあります。
それと云うのも、
高校時代の私は無気力な生徒で、
いつもボーッと過ごしていたからです。

どんな生活を送っていたかと云うと、
毎朝、1時間目が始まって、
電車1本分くらいの時間が経ってから教室に入り、
(メチャクチャ遅刻するだけの度胸はないのです)
そして席に座ると、おもむろに机の上に本を置いて
(わずかばかり勉強する気を見せて)
それから、暫く経つと机を枕代わりにして、
夢のような時間、いや夢見る時間を過ごしていたのです。

そうして毎日規則正しく睡眠学習に励んだ結果、
高校2年生の最後のテストでは
440人いる学年の生徒の中で
確か439人目か440人目の成績を修めるほど
私は優秀な生徒になりました。

みんな勉強しているのを横目で見ていて
「コイツらこんなに勉強してアホちゃうか」と思っていた
自分が一番アホだったと、
思い知らされたワケですが、
それでも「これは夢なんかな、現実なんかなあ」
とちっとも自分の身に起こったことのように感じず、
寝ぼけ眼で、学年の席次が書かれた紙を見つめていました。

勿論、それだけ不真面目だと、
学校の先生の見る目も違います。
そんな経験もあるからでしょうか、
塾に来ている生徒でも、少しくらい不真面目でも
私は目をつぶります。

自分で勉強する気になったら、
それまで勉強していない分、成績は上がるから、
多少それまでに時間がかかっても、あんまりガミガミ云いません。

反対に注意されないと、
却って子供のほうが不安になることも多いようで
大抵の場合、勝手に勉強を始めます。

塾の先生と云うと
学生時代に落ちこぼれたことなんてないと思いますが、
私はその経験があります。
人と違った経験をすることは
大きな強みになるそうですが、
こればっかりは、大きな声では云いにくいですね。







学生の頃は友人関係が
学校生活を送るうえで大きなウエイトを占めますが、
私が小学4年生の頃、授業で
「クラスで仲のいい友達の名前を書いてみましょう」
先生から、こんな課題を与えられたことがありました。

今から考えれば、
クラスのほとんどの子供の名前を
書いていれば良かったのかもしれません。
実際にそう云うクラスメイトもいたようです。

でも私の場合、これはちょっとした苦痛の時間でした。
「友達って、どこからどこまでが友達なんだろう」
「自分が友人として名前を書いても、
相手が自分の名前を書いているとは限らない」
「先生に見られていやだなあ」

私は藁半紙に向かったまま、
なかなか鉛筆を動かすことが出来ませんでした。
授業の終わりを知らせるチャイムが鳴る5分前になってようやく、
放課後にいつも遊んでいる2人の名前を書きました。

数か月後、懇談から帰って来た母親から
私の名前を書いてくれたクラスメイトは
私の書いた二人だけでなく、他にも多くいたと聞かされました。
担任の先生にしてみれば、
私の書いた人数が少なくて驚かれたようです。

佐藤春夫の小説にも、主人公が教師から
友人の生徒の名前を書くように云われた時の
心の動きが描かれた作品があり、
それを読んだときは
「私が体験したのとほとんど同じ内容じゃないか」
と驚きましたが
誰が友人で誰が友人でないか、
それは永遠のテーマと云えるかもしれません。

友達と思っていたけれど、それが片思いだった場合は
不登校の原因の一つになるようです。
家庭教師をしていた頃や塾の生徒にも
学校へ通っていない生徒はいました。





実際にどうやって生徒を集めているのか
内情を少し明かすと、
一つは前にも書いたように、
チラシを家のポストに入れることです。
もう一つは
いま塾へ通っている生徒やその親御さんに、
友達やその子供を紹介してもらうことです。

塾を始めた頃は、
大半は前者の方法で生徒を集めましたが、
そればかりだと、かなり労力がかかります。
それよりも後者の方が、
子供同士、親御さん同士で、
私の塾が、どんな塾で、どんな風に授業をしているのか
話をされているからでしょう、
初めて塾へ来られる時には
もう私のところの生徒になる積りが多く、
話がスム-ズに進みます。

塾を始めるまでは
成績が上がったことが口コミになり
生徒がやって来る場合が大半だろうと思っていました。
確かにそれもありますが、
それよりも、
「友達が行っているから僕も行く」や
「誰々さんの娘さんと同じ塾へ」と云った場合のほうが
大半を占めるのです。

塾を始めた頃、生徒の人数があまりにも少なくて、
「この塾大丈夫かな?」
と心配をする親御さんや子供もいましたが、
「数は力」で、知っている顔があれば
それで安心するようです。

では、どんな子供が
友達を塾へ連れて来てくれるかと云うと、
普段仲間のなかで
リ-ダ-になっているような子どもです。
そのなかには勉強が苦手な子もいます。

優等生の場合、どちらかといえば
大人しくて、人とはあまり喋らないことが多いので、
友達を連れてくることは少ないです。
それに対して、学校の成績が振るわない子は
反対に友人間での信頼が厚い場合が多いのです。

だから情に生きるか理に生きるか、
どちらに比重があるかは人それぞれで、
どちらの方がいいか一概に云えないように思います。
大人になってからは
学校で習った勉強はあまり役に立たないから
一生懸命やった結果、成績が良ければいいし、
悪くてもそれほど悲観する必要はないと思います。

ちなみに私は名前の通り「理」のほうかもしれません。

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