先生と呼ばれて(山本理)

戸田ゼミコラムのアーカイブです。このコラムはすでに連載を終了されています。

2012年06月

この仕事をしていると、
生徒たちから、いろいろ質問されます。
そのなかで、特に多いのは
「勉強の仕方がわからない」です。

そこで、私が中学生の時にしていた勉強法を伝えます。
どの科目でもそれほど大差ありません。
先ず、学校と塾の問題集のテスト範囲の部分を1度解いてみる。
そして、苦手な問題にチェックを入れる。
2回目はそのチェックしている問題を解く。
最後に毎回正解するような問題は解かず、
チェックをしている部分と、解けるけれども
不安の残っている問題にだけ挑戦する。

でも、それをそのまま実行する子はほとんどいません。
私は、最初はエラそうにも、
「云う通りにやれば、成績が上がるのに」
と思っていました。

また質問をたくさんする子もいます。
実際に解き方を説明すると、
「わかった」と云ってくれるのですが、
その後どうするのか見ていると、答えだけを書いています。
その答えに至った途中経過、
数学だったら途中の式などは書いていません。
これが、生徒の学力と問題のレベルが合っていないと、
それも仕方ないのですが、どんな問題でも同じです。
そして、次の問題にとりかかるのですが、
すぐに「わからない」と云って、私の顔を見るのです。

そんなことがあってから、
私は問題が解るとか解けないと云うよりも、
自分で考えることが大切だと思うようになりました。
自分の勉強のやり方を自分で探して、
身につけることが勉強であって、
どうすれば効率良く勉強できるか
自分で見つけないとなかなか成績も上がらないようです。

成績がクラスの真ん中より上の子は
ポイントによってマ-カーの色を変えるなど、
なにがしかの工夫をしています。
そして、成績が学年でもトップクラスの子は
私がメモするように云わなくても、
自分でポイントを書き留めています。

こんなことを書いている私は少し職病病でしょうか。
書いていることがどうも説教調ですね。

私の塾のような、こじんまりとしたところへ
通ってくれる生徒がいるのはありがたいことです。
塾から歩いて30秒のところに駅がありますが、
その周辺に、つまり近所ですが、
ライバルの教室はいくつもあります。

チラシを見ただけでは、
個人も大手もそれほど大差ないように思えます。
だから、他と変わり映えがしないようでは
生徒は他の塾に行ってしまします。
少しは変わったことをしなくては
太刀打ち出来ないと思って
1年目から続けているのが、朝の自習です。

本当は毎日したいところですが、
それではモヤシっ子の私の体力がもちません。
そこで、定期テストの日の朝7時から8時過ぎだけしています。
自由参加なので、来る子もいれば来ない子もいます。、
なかには眠い目をこすりながら、やって来る子もいますが、
これは生徒からも親御さんからも好評なようです。
考えてみれば、大手で
朝の1時間だけ教室を開放しようとすると、
学校によって、テストの日が違うとか、
先生に払う給料の問題などから簡単には出来ないのでしょう。
いいのか悪いのか、わかりませんが
これは私の塾のスケ-ルが小さいから出来ることなのかもしれません。

他にも特色を打ち出しています。
1年に3回ほど、塾でパ-ティーをするのです。
前回は、私が腕によりをかけてホットケ-キをつくりました。

そう書くと楽しそうですが、私がつくっている間にも、
お腹を空かせた生徒はピ-チクパ-チク言います。
アッチで、「まだ?」と言えば、「少々お待ちを」と私は
その口にお菓子を詰め込んでやり、
コッチで「喉が渇いた」と言えば、紙コップにジュ-スを注ぎます。
さながら子供にエサをあげるスズメの親のようです。

いつも、狭い部屋の中は子供でいっぱいになりますが、
よく見ると、そのうちの3分の1は
ウチの塾の生徒ではないこともありました。
それでも、口コミになるかもと思い、私は何にも言いません。

ここまで読んでくると、
先生としての威厳がなさすぎるのではないか、
と仰る方もおられるでしょう。
確かにその通りかもしれません。
でも塾もサ-ビス業です。
私はお客さんに目いっぱいのサ-ビスをする積りです。

しかし、尽くすだけでもありません。
実は、私は料理をしたことがほとんどないのです。
だから、今まで塾でつくった、
たこ焼きも、焼きそばも、ホットケ-キも
それまで自分一人でつくったことがありませんでした。
つまり、ココだけの話、子供は毒見係と云ったところなんです。
味の保証は出来ないと知っている私は
いつも、自分の作品を目で楽しむばかりなのです。






前回、「これから人を雇う練習をしたい」と書いたら、
早速、或る生徒から
「いつまで塾を続けるの?」と訊ねられました。
きっと親御さんが、私のこの文章をご覧になっているのでしょう。
当然、ご心配だと思いますが、
私の「先生」としての賞味期限が切れると、
自然と生徒がいなくなるので、その前に手を打とうと云う考えです。
おそらく10年後の私の頭は禿げあがり、
お腹もブヨブヨで体力もなくなっていて、
どう考えても今よりも品質が落ちています。
ただ、一人親方の私より熱心に働いてくれるような人が、
すぐに見つかるとはちょっと考えられないので、
人の問題は、しばらく私の宿題になりそうです。

塾と云えば、
古くでは科挙試験に落ち続けた人が
身過ぎ世過ぎのために開いているイメージがあります。
私自身も、それと似たりよったりかもしれません。
ただ、そう云ったイメージから抜け出したいとも考えています。
漠然としていますが、
将来的には学校の勉強だけではなく、
年齢に拘らず勉強熱心な人たちと一緒に
お互いに刺激しあえるような、
そんな場にしたいと思っています。

今はあまりにもやりたいことが多すぎて、
毎日があっという間に過ぎてしまいます。
でもあれだけお元気だった邱先生がお亡くなりになると、
なんだか人生など儚いもので、
自分のやりたいことをやりたいようにしておかないと、
後悔してしまうと思うようになりました。
そう云えば、ハイQにコラムを書いていたときは
「美容と健康」のテーマからどんどん遠ざかり、
それと同時にアクセス数も少なくなり、
御役御免と相成りましたが、
最初はスラスラ書いていたコラムが、
次第に苦しくなって、1日8時間くらい
キ-ボ-ドの前で唸っていたこともありました。
当時、よく人から聞かれたのですが、
コラムを書いてお金をいただけるなんてことはありませんし、
執筆者のなかでそんなことを考えている人はいないと思います。
でもこのとき、普段から問題意識を持っていないと
何にも書けないものだと知ったことは大きな収穫でした。
短い間でしたが、邱先生には大きな影響を受けました。
今でも先生のお顔を思い出して、怠け癖に活を入れています。

塾の仕事にマンネリを感じている今の状況から脱け出すには
何か新しいことを始める必要があります。

そこで、先ず考えたことは、違う業種に手を出すことです。
実は前々から、こんな仕事がいいかなと
頭で勝手に考えていることはあるのですが、
一つの体で二つの仕事をこなすことは出来ません。
それに今は、たまたま塾の仕事で生活出来ているけれど、
将来はどうなるかわかりません。

そこで、いずれ時機が来た時に、
その他の仕事にも挑戦することが出来るように、
誰か、塾の仕事を手伝ってくれるような
自分の片腕を探す必要を感じています。

実を云うと、
今は父親が塾の近所にチラシを配る手伝いをしてくれています。
だから、ある程度助かってはいるのですが、
私が一度も、手伝って欲しいと云っていないにも拘らず
嬉々として毎週2回も遠くからやって来るのは、
運動不足の解消といい時間潰しになるからでしょう。

昨日も『今日は2万歩歩いた』と言って、帰って行きました。
普段家にいることの多い父親が留守にするので、
私は母親から感謝されています。
夫婦のことは夫婦にしかわかりませんが、
どうやら『亭主元気で留守がいい』を地でいっているようです。

然し、親が手伝っていると云っても、
今必要なのは、私の代わりに授業をしてくれる人間です。
私はまだ体力が続くからいいようなものの、
10年先も、一人で子供たちの相手をするのは、
とてもじゃないけれど自信がありません。
ですので、いきなり全てを任せることは出来ないけれど、
さしあたっての目標として、
『人を雇う練習』をしたいと思っています。

どうすればいいのかと云うことになると、
やはりチラシを配って、生徒やアルバイトの先生を集めるしかありません。
となると、また父親に手伝ってもらうことになりますが、
これも親の脛をかじっていることになるのでしょうか?



去年から考えていることがあります。
やっとの思いで生徒を集めても、
中学校を卒業する同時に、
ほとんどの生徒は私の塾も卒業していきます。
そしてまた、生徒集めをすることになるのですが、
よくよく考えてみると、
毎年同じことの繰り返しで、少々新鮮味が感じられなくなってきました。
家庭教師のアルバイトを始めた大学生の頃から
子供にモノを教えることは
割と性に合っているとは感じていたし、
実際そうだと思うけれど、それでもそんな風に思うのです。

大学教授のなかには、
十年前とほとんど変わらない内容の
講義をしている先生もいると云われますが、
私だって相手が変わっても、
自分自身は同じようなことを子供たちに伝えているだけで
これではいけないなあと考えるようになりました。

これは最近、糸川英夫博士の本を
何冊か読んだことも関係しているのかもしれません。
日本の探査機が
小惑星イトカワを探査したことで有名ですが、
糸川博士が十年に1つずつ仕事を変えていったように、
私も仕事を変えたり、そのときにしている仕事プラス
新しい仕事もしていきたいなあと思っています。
もちろん私のスケ-ルは小さいでしょうが、
そうやってマンネリズムを打破しないと、
いつまで経っても同じことの繰り返しで、
ツマラナイことになりそうです。

刺激が少ないからでしょうか、
最近、近所のショッピングモ-ルに行くと
70歳前後のオジサンたちがベンチに集まって
真昼間から酒盛りをしている光景に出くわしました。
深夜、コンビニの前で少年たちがたむろしているのと変わりません。
御本人たちはどう思っておられるかわからないものの、
何度も目にしていると
あれではあんまりカッコよくないなあ、
あんな風にはなりたくないなあ、と思うようになりました。

だからと云って今の仕事の手を抜くわけでもないし、
まだまだこの仕事も続ける積りですが、
少しばかりキョロキョロしている今日この頃です。

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