先生と呼ばれて(山本理)

戸田ゼミコラムのアーカイブです。このコラムはすでに連載を終了されています。

私の塾から3歩の距離にある
大阪で有名な塾が引っ越してきて
1年半ほどになります。

前にあった印刷工場はとても大きくて、
私の塾に西日も当たらず、
入り口の正面は陰気クサイ感じでしたが、
妙なことに、その塾の建物がキレイで、
私の塾の周りも随分明るく感じられるようになりました。

しかも、向かいの塾の生徒や送り迎えする親御さんは、
私の塾の存在に気づきます。
向かいから私の塾の生徒に移ってくる子もいます。

コンビニなんて
近所にいくつも同じ系列の店があるなんて
過当競争が当たり前ですが、
過当競争になっているところには
必ずお客さんがいるんだなあとも思います。

今までどれだけ宣伝しても
誰も知らなかったのに
大手の塾が
勝手に宣伝してくれているので
知名度が上がっていることは
間違いありません。

だからといって急に生徒の数が増えるなんてことも
ありませんが、
今までは、誰も知らない私の塾に通っているのが
恥ずかしいなんて生徒も結構いたので、
それからすると御の字です。

横綱相撲をとっている大手の塾からすれば、
土俵が違うので、痛くも痒くもないといったところなのでしょう。

10円ハゲもまだ治っていませんが、
人が何かを手に入れようとすると
何かを犠牲にしなければならないのであるならば、
ハゲになった甲斐があるというものです。

先生という言葉は心地よく感じるものです。

「先生、これがわからへん」
「先生ありがとうございます」
と生徒や親御さんから、毎日云われているうちに、
「俺ってよっぽど感謝されているんじゃないか」
と云った調子で、
通常の感覚が少しずつ蝕まれてきます。

しかし、違った仕事をすると、
先生と呼ばれることもなくなると
自分にブレーキをかけることも出来ます。

塾を始めた時は、
色々なアルバイトで食いつないでいましたが、
そのうちの一つであった
コンビニでレジを打っていると、
生徒やその親御さんが
お客さんでやってくるということも何度かありました。
すると立場が逆転します。
私が
「ありがとうございます」
を言われる側から言う側に変わります。

その数時間後に、
また先生として
その生徒に勉強を教えていたのですから
妙な体験でしたが、貴重な時間だったかもしれません。

最近、インターネットで塾の名前を検索しても
出てくるのは、同じ名前のヨソの塾で、
どうしたものか、と困っていました。

のび太にはドラえもんがいますが、
リアルのび太の私にはドラえもんがいません。

そのとき、
「クラウド」
という言葉が頭に浮かびました。

そして、
「なんでもやってみないとなあ」
マウス片手にクリックして
何度か相手の方とメールでやり取りすると、
私が幾晩悩んでいたことが解決してしまいました。

そうすると、
これからの会社って、余程特長のある人しか採用しないし、
個人で会社をするにしても、
これまでの普通とこれからの普通の意味合いは
変わっていくに違いありません。
中小零細企業にとって
これはチャンス到来かもしれないと思いました。

 

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